震災供養塔
境内にある震災供養塔は、安政の大地震により亡くなられた多くの方を供養するために建てられました。安政年間各地で地震が頻発し、江戸では安政3年(1856)10月2日大震災により甚大な被害がありました。供養塔の裏面には増上寺66世 冠誉慧厳 による流麗な文字の歌が刻まれています。
徳本行者開眼の歌「南無阿弥陀仏と申積たる石塔ハ 尽ても功徳はつくることなし」
増上寺66世 冠誉慧厳(1851~1860)
慧厳は滝山大善寺、瓜連常福寺、鎌倉光明寺の住持を歴任し、嘉永4年(1851)増上寺66世となる。12代将軍 徳川家慶の葬儀や各御霊屋の修理、地震遭難者追悼法要を勤めるなどの功績を残す。万延元年(1860)桜田門外の変が起こり、世上ますます不安な折、世上静謐祈願会もつとめている。同年12月10日入寂。