心はおなじ花のうてなぞ

「露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花の台(うてな)ぞ」 法然上人

〈訳〉露のようにはかないこの身がどこで消えようとも、お互いの心に想う浄土の蓮台で再会いたしましょう。

山門横の掲示伝道

法然上人により開かれた浄土門の教えはみるみる広がりを見せ、多くの方がお念仏を称え浄土往生を願いました。一方で、比叡山や興福寺などからは念仏弾圧が訴えられました。そんな折、法然上人の弟子住蓮、遵西が唱えるお経のすばらしさに、上皇の女御2人が出家をしてしまった事で上皇の怒りをかい、住蓮は近江の国で、遵西は六条河原で斬罪となってしまいました。さらに法然上人は四国讃岐への流罪が決まり、建永2年(1207)3月に都を出立いたしました。 法然上人を尊崇されていた元関白の九条兼実公は、75歳になられた法然上人の流罪を嘆き一首の和歌を送られ、それに対する返歌として詠まれたものが「露の身は~」のお歌です。

兼実公は法然上人出立の一月後に別れの悲しみのなか往生をおとげになり、今生での再会をはたすことはできませんでした。私たちも大切な方との別れを避けて通ることはできません。しかし、法然上人のお歌の通り、いずれお浄土での再会が約束されています。

皆さまが今生でお別れした方との再会できる浄土往生を願い、日々お念仏の中に過ごして参りましょう。